エデンの園

一般的に人間の起源は聖書に記されているエデンの園から始まるとされている。土より創られた男アダム、そしてアダムの肋骨から創りだされた女イブ(又はエヴァ)が史上最初の人間となっている。
個人的見解を述べさせてもらうとこれらは作り話ではないかと筆者は推察する。筆者の推察ではエデンの園というのは人間に対する暗喩的なお伽話となる。
人間は確かに土から創られたものかもしれない、しかしアダムの肋骨からイヴが創られたというのは嘘である。事実は天使が男を、悪魔が女を創造したとされる。神が天使と悪魔、そして自然の法則と哺乳類以外の動物を創造したのである。自然動物は自然の営みの一つとなって円環となり回っているというのに人間だけが自然破壊を可能とするのはそこに原因があるのだ。全知全能の神が創造したものはそれだけで完成しているが天使と悪魔に創造されたものは未完成ということを示している。 天使は探究心を司り、悪魔は気丈さを司っている。 だから男は浪漫や夢を追いかけ、女は芯が強く気丈なのである。 それぞれだけでは未完成のままなので完成に限りなく近づくよう人間に生殖機能を与えたのが神なのである。 これにより人間は男の部分と女の部分を混在させ様々な特性を発揮していく。 人間の成長が未完成(現状)ながらも完成(理想)を目指そうすることで可能とするのはそのためである。

天使と悪魔

聖書の中でも天使と悪魔は度々登場する。 悪魔は現代社会でも良いものとはされておらず人々を悩ませたり時には死に至らしめると言われるほどで聖書内でも人間を神から遠ざけようとするものとして示されている。 恐らく悪魔が死に追いやる存在は自分と相反する存在が創造した男性と考えられる。 そして天使はその探究心故にこの下界に降り立ち自分と相反する存在が創りだした女性に興味を持ち性交をしたと聖書で示されている。 その性交により巨人が生まれたとある、恐らく女性は巨人を産み落とす際に命をも落としていると見ていいだろう。 このように相反する天使と悪魔は互いに創造した人間の命を弄んできた。 よって聖書内で示されている神とは大方が悪魔と相反する天使と判断する。 本当の神は完成した世界に未完成な相反する天使と悪魔を創造したのちこの世界にはほとんど手をつけていないのではないかと推察する。 恐らく神の子と呼ばれるキリストだけが本当の神が直接創造した人間であり、我々人間は神の孫となる。

男と女

人類史最初の男女はまさに真っ二つに分かれていたであろう人間の男と女の部分は生殖機能により交わり、土台は男と女と別れたままであるが男と女の部分が混在した状態になっていく。 古代ギリシャでは恐らく土台が男であるが故の浪漫を追いかける探究心と己のプライドを守るために培われた女の理屈が合わさった状態の者が多く誕生した、そのためそこから学問が生まれたと推察できる。 画家も例外ではない。土台が男であるが故の純粋さから来る感受性と女の気丈さを支える根拠のない自信が合わさった時に生まれる直感により様々な歴史に名を刻む画家が生まれた。 日本の主流となっている思想、全体主義はまさに人間の女の部分が強く出た思想と言っていい。 こうして考察してみると大方が土台が男で自分の中にある女の部分と上手くすり合わせた者が歴史や文化を動かしてきたかのように受け取れるが、これまでの物理的な力がモノを言う時代では男が先頭に立ってきたがこれからの物理的な力が必要と無くなる時代では女は自ら立ち上がり社会的地位を手にしようとしている。 これは女の非力だからこそ培われている頭の利口さを表している。 そもそも天下統一といった思想は人間の女の部分から来るものである、私が一番だという根拠のない自信に裏打ちされた者が考えうるものだ。 よって戦国時代では「女は非力」ということを世に広げ、利口な女を裏に潜めた時代だと言える。